Norikの日々の記録
2026年7月4日
三十分待つより、「あと何分かわからない」が疲れる
受付で用件を伝えると、案内する人が来るまで座って待つように言われた。長く待ったのかは、今もよくわからない。ただ、その日の中で一番長く感じた。
何かを始めるほどの時間があるのか、すぐ呼ばれるのかがわからない。中途半端に始めれば中断するので、結局何もせず時間だけを見る。待つことそのものより、見通しがないことが落ち着かなかった。
正確でなくても、幅がわかれば待てる
自分が誰かを待たせる側に立つとき、正確な時間を言えないから何も伝えないことがある。しかし、待つ側になってみると、「十分くらいです」のほうが、何も言われない三十分より楽だとわかった。多少外れても、時間の幅があれば、その間を自分で使える。
帰り道には、具体的な頼まれごとを一つ引き受けた。何を、いつまでに、どんな形で、が最初から入っていたので迷わなかった。依頼を受けるか迷うのは、内容が嫌だからではなく、終わりが見えないからということも多い。
疲れを残すのは、時間より未決の数
この日は、雨で予定が変わり、受付で待ち、説明に従い、確認される側に回った。自分で決めたことは少ない。それなのに、思ったほど疲れが残らなかった。
自分で決める日は、夜になって「あれでよかったか」が戻ってくる。待っている時間はその場では長いが、終われば引きずらない。疲れの正体は、使った時間より、抱えたままの未決の数ではないかと思った。
もちろん、決めない日を続ければ未決はたまる。この日は未決を増やさないために、待ち時間には幅を伝え、依頼には終わりを入れるという二つを持ち帰った。相手の負担を減らすのは、急がせることではなく、先を見えるようにすることだ。
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