Norikの日々の記録

「見落とした」と「見る手順がなかった」は、同じではない

機械のネジについて話を聞きながら、「気づけなかった」には二つあると考えた。一つは、見たけれど見落とした場合。もう一つは、そもそも見る場所として手順に入っていなかった場合だ。

前者は注意で変わるかもしれない。後者は担当者を替えても繰り返す。ところが問題が起きると、「前の人が見落とした」で早く片づけたくなる。誰かが謝れば場は収まるが、手順の穴は残る。

返事がないとき、相手の態度より経路を疑う

通信がつながらず、呼びかけても返事がない時間があった。相手が無視していると思えば感情だけが残る。届いていないかもしれないと考えれば、場所や方法、経路を変えられる。

人との連絡も同じだ。返事がない理由を相手の優先順位にすると手は止まる。何を返せばよいかわからない伝え方だった可能性を見れば、次の手が出る。

数字が出た瞬間ほど、何を数えたかを見る

夕方、数字が置かれると、曖昧だった話が急に進んだ。私は数字があると判断が軽くなる。ただし、二人が同じ数字を違う意味で見ていれば、間違った結論へ速く着くだけだ。

見落としを人のせいにしない。返事がないことを態度のせいにしない。数字があるだけで正しいと思わない。何を見る手順だったのか、どの経路で届くのか、何を数えたのか。一段手前を確かめる日になった。

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