同じ案内を何十回も聞いて気づいた。「もう十分伝えた」は早すぎる
移動のために空港で待っていると、次に出発する二便の案内が交互に流れていました。行き先と便名、搭乗口の番号を知らせ、もう一便の案内へ移り、また最初へ戻ります。同じ組み合わせが、同じ順番で何度も続きました。
最初は普通に聞いていました。必要な人へ搭乗口を知らせる案内なので、繰り返すのは当然です。ただ、三周目くらいになると、私は内容ではなく音の周期を聞くようになりました。五周目を過ぎる頃には意味が抜け、空港の背景音になっていました。
伝わった後に、一度消える
ところが十周を超えたあたりで、「まだ同じ案内をしている」と、再び意識に上がってきました。伝わる、飽きる、背景へ消える、そしてまた目立つ。同じ言葉なのに、聞く側の受け取り方は一直線ではありませんでした。
私はそれまで、同じことを何度も言えば、回数に応じて少しずつ伝わるものだと考えていました。一回より二回、二回より三回のほうが届く。発信する側から見ると、その理解は分かりやすいものです。
実際には、途中に「聞こえているのに意味が入ってこない時間」がありました。同じ形のまま繰り返すと、必要な情報でも背景へ溶けます。だからといって、そこで止めると、最初に聞いていなかった人や、今まさに必要になった人には届きません。
案内が流れている間にも、人は歩き、話し、画面を見ています。同じ場所にいても、耳を向けられる瞬間はそれぞれ違います。私が背景音として聞き流していた回が、別の誰かには初めて必要な情報として届く回だったかもしれません。
空港の案内は、形を変えずに繰り返していました。便名や搭乗口は、表現を面白く変えるより、同じ順番で正確に伝えるほうが大切です。何度も聞いた人が飽きても、聞き逃す人を減らすことを優先しているのだと思います。
私の発信は、同じ形でなくてもいい
一方で、自分の仕事やサイトで伝える内容は、空港の案内とは少し違います。FIREへの考え方、事業で数字を見ること、始める前に出口を考えること。大事だから何度も書きますが、毎回同じ文章を載せればよいわけではありません。
物件を見た日の話、飛ぶ前に計器を確認した話、民泊の運営で困った話。同じ判断基準でも、実際の場面を変えれば、前に届かなかった人へ届く可能性があります。繰り返す内容と、変える見せ方を分ける必要があります。
これまでは、同じことを何度か書くと「もう十分だろう」と自分で止めてしまうことがありました。しかし、書いた側は最初から最後まで見ています。読む側は、その一回だけを偶然目にするかもしれません。発信する側の回数と、受け取る側の回数は一致しません。
空港で何十分も案内を聞いた時間は、生産的だったとは言いにくいものです。それでも、繰り返しには一度消える区間があると、自分の耳で確かめられました。次に「もう十分伝えた」と思った時は、本当に届いたのか、それとも自分が言い飽きただけなのかを分けて考えたいと思います。
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