Roots / Challenge

徳島から世界へ。視野は外へ出るたびに広がった

人生を広げてくれたのは、いつも「外へ出る」経験だった。地元を出る。船へ向かう。空へ向かう。日本を出る。世界で働く。そのたびに、知らなかった世界が見えてきた。

航空機の前での一枚

徳島の鴨島から、阿南高専へ

私は四国の徳島で生まれ、現在の吉野川市、昔の麻植郡鴨島町で育った。最初の大きな転機は、中学卒業後に阿南高専へ進んだことだった。

同じ徳島県内ではあるけれど、阿南市で寮生活を始め、親元を離れて暮らすことになった。それまでの自分の生活圏から出たことで、初めて「外には違う世界がある」と感じた。

大阪へ出て、さらに世界が広がった

阿南高専を卒業した後、松下電器、現在のパナソニックへ就職した。四国を出て大阪で働き、寮に入った。ここでもまた、自分の世界が一段広がった。

地元にいた時には見えていなかった仕事、考え方、人との出会いがあった。外へ出ることは、不安もあるけれど、それ以上に自分の中の基準を変えてくれる。

お金はなくても、夢は先に持っていた

高専時代、知り合いが船の免許を取りに行くと聞いた。私は「私も行きます」と言って、一緒に船の免許を取りに行った。将来、お金持ちになってヨットに乗りたいという夢があった。

まだ現実ではなかった。でも、若いうちに免許を取っておけば、未来の自分が動きやすくなる。夢を持つだけではなく、先に準備をしておく。この感覚は、後の飛行機にも事業にもつながっている。

飛行機の免許を取りに、アメリカへ

松下電器で働いていた時、飛行機に乗りたいという夢を持つ先輩と出会った。その方は、アメリカなら日本よりも免許を取りやすく、費用も抑えられることを知っていた。

その話を聞いて、私は「それなら一緒に行きましょう」と言った。神戸で座学を学び、その後アメリカへ渡って訓練し、飛行機の免許を取得した。

日本を出ると、文化も空気も考え方もまったく違った。自分の知らない世界がこんなにあるのかと、強く感じた。この経験が、もっと世界を見たいという気持ちにつながっていった。

英語ができなくても、海外担当を希望した

英語が得意だったわけではない。むしろ、海外出張では苦労も多かった。それでも海外勤務を希望し、海外担当になり、世界各地へ出張するようになった。

その後、ロシアのモスクワへ家族で赴任し、約2年を過ごした。本来は5年の予定だったが、経済危機の影響で急きょ帰国することになった。残念な思いもあったが、それも含めて貴重な経験だった。

結果として、40カ国以上を訪れる機会を得た。冬のパリで食べた牡蠣のような小さな記憶も含め、文化、仕事、人、街、食べ物、考え方が、自分の視野を広げてくれた。

見る、行く、感じる。それが人生を広げる

私にとって、チャレンジとは大きな成功だけを意味しない。行ったことのない場所へ行くこと。知らない人と話すこと。怖くてもやってみること。外に出て、自分の目で見て、感じること。

それを続けてきたから、人生は広がった。これからも、あと何年できるかわからないからこそ、一日一日を大切にし、新しいことに挑戦していきたい。

そして、自分だけでなく、仲間と一緒に楽しい人生をつくっていきたい。成功も失敗も経験として残し、それが誰かの役に立つなら、こんなにうれしいことはない。

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