Norikの日々の記録
2026年6月10日
説明した直後の「わかりました」は、まだ信用しない
朝、数を読み上げる声に合わせて体を動かした。数字を追っている間は、ほかのことを考える余地がない。終わって息を整えると、今日やることが頭に戻ってきた。いったん頭を空にしたあとでも戻ってくるものは、案外少ない。
午前中、まだ会ったことのない相手と電話で話した。丁寧に説明してもらっているのに、私が知りたいこととは少しずつずれていく。途中で、全体の説明を聞くのをやめた。こちらが心配していることを先に伝え、「困ったとき、実際には誰が電話に出るのですか」と聞いた。そこで初めて話がかみ合った。
伝えた量と、相手に残る量は同じではない
午後、人に何かを伝える順番について話を聞いた。存在を知ってもらうこと、何をしている人か理解してもらうこと、信じてもらうことは、それぞれ別の段階だ。私はときどき、この階段を一度に上がってもらおうとして、説明を詰め込みすぎる。
伝えた直後なら、相手は内容を覚えている。その場で「わかりました」と言われると、伝わった気になる。しかし、それは理解したというより、言葉がまだ消えていないだけかもしれない。何日か置いても残っている一つか二つが、その人に本当に届いたものなのだと思う。
何も足さずに、残ったものを確かめる
私は補足したくなる。誤解されたくないから、別の例も足したくなる。しかし、説明を足し続けたら、何が残ったのか確かめられない。
この日は、一度伝えたら手を離してみようと思った。数日後に相手が何を覚えているかを見る。こちらが強調した箇所ではなく、何気なく話した例が残っているかもしれない。それなら次に直すべきなのは相手ではなく、こちらの伝え方だ。
朝、数を数えたあとに戻ってきた考えと同じだった。全部を抱えたままでは、大事なものが見えない。いったん空にして、それでも戻ってくるものを見る。説明も、そこから始めたほうがよさそうだ。
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