「高い」と話し続けるのをやめて、ひとつ買って帰った
ある商品の値段について、もう少し下げたほうが売れるのではないかという話になりました。値札を見れば、私も素直に高いと感じる金額でした。
下げれば買う人は増えるかもしれません。ただ、一度下げた価格は簡単には戻せません。一方で、買う側が感じる「高い」は、金額だけでなく、払った後に何が返ってくるか分からない時にも生まれます。
全員が「買っていない側」から話していた
下げたほうがよい、下げないほうがよい。話は何度か往復しましたが、結論は出ませんでした。そこで気づいたのは、その場に新しい情報が増えていないことでした。全員が、まだ買っていない側から話していたのです。
それなら、自分でひとつ買って帰ろうと思いました。買わずに議論を続けても、分かるのは値札を見た印象だけです。使って満足すれば、その値段には理由があったと分かります。物足りなければ、どこが価格に見合わなかったかを具体的に話せます。
お金を払った瞬間、その商品は批評する対象から、自分で確かめる対象へ変わりました。抽象的な「高い」が、使い心地や不足している点へ変わる。次の会話に持ち込める情報の質が違います。
試す費用と、賭ける費用は分ける
何でも買えばよいとは思いません。試した結果が悪くても、自分を大きく傷めない範囲であることが前提です。この日の買い物は、その範囲に収まっていました。
買わずに一年考えるより、買って一週間使うほうが分かることが多い。買った経験は残りますが、考え続けた時間はほとんど残りません。
この日は、高いか安いかの答えを出した日ではありません。答えを想像する側から、自分で確かめる側へ移った日でした。使ってから判断すればよい。まず、そのための一歩を買って帰りました。
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