Money / Russia

ロシアのデノミの話から、お金は絶対ではないと学んだ

お金は数字であり、信用であり、道具だと私はよく考えます。その感覚を強くした体験の一つが、1997年から1998年のモスクワ赴任中に見聞きした、ロシアルーブルのデノミネーションでした。

デスク上のPCとノート

この記事で分かること

  • ロシアのデノミの話が、お金の見方にどう影響したか
  • 通貨の桁や見た目は絶対ではないという感覚
  • だからこそ、価値、備え、分散で考える必要があるという見方

結論

お金の数字や通貨の桁は、永遠に固定されたものではない。国や時代によって見え方は変わる。だから私は、お金そのものを絶対視するのではなく、価値、備え、分散で考える方が大事だと思っている。

ロシアの話は、お金の見え方を揺さぶる

ロシアに関する話の中で、印象に残っているものの一つがデノミネーションだ。資料でも触れていたが、ロシアルーブルは1998年1月にデノミが行われた。通貨の単位や桁が変わるというのは、普段日本で暮らしていると実感しにくい。でも、そういうことは現実に起こりうる。

これは単なる知識として面白いだけではない。通貨の見た目や桁数が変わるという事実は、お金を絶対的なものとして見てはいけないと気づかせる。数字の形は変わりうるということだ。

印象的だったのは、ゼロが3つ消えただけだったこと

資料のノートにも残っていたが、当時デノミをすると聞いていた私は、どんな新札になるのか少し期待していた。ところが実際には、ふたを開けてみると、見た目はほとんど変わらず、ゼロが3つ無くなっただけだった。

たとえば、貨幣価値としては1000円に近いものが、表記上は200円のように見える。旧紙幣と新紙幣のデザインも大きく変わっていなかった。混乱を避けるためだったのか、変更コストを抑えるためだったのかは分からないが、その体験は強く残っている。

桁が変わっても、価値の本質は別にある

たとえ紙幣の表記や桁が変わっても、人が何を買えるか、どう暮らせるか、どれだけ信用されているかという本質は別のところにある。数字が大きいから安心、小さいから不安、という単純な話ではない。

私は昔から、お金は目的ではなく数字だと思ってきたが、こうした話に触れると、その感覚がさらに強くなる。お金は道具であって、絶対そのものではない。

その背景には、経済危機と超インフレがあった

資料では、1997年から1998年のモスクワ赴任時代に、アジア危機からロシア経済危機へつながり、超インフレ、デノミ、最終的な経済破綻へ進んだことにも触れていた。私自身も、その流れの中で日本へ緊急帰国することになった。

日本ではなかなか体験しにくいが、経済の前提が揺れる時には、通貨の表記も制度も、暮らしの安定も一気に変わりうる。だからこそ、平時の感覚だけでお金を見ていると危ういと思う。

だから、現金だけに安心を置かない

こういう感覚があるからこそ、私は一つの形だけに安心を置かないようにしている。現金も持つ。事業も持つ。資産も分散する。借りられる時に借りる。家族に情報も残す。そういう準備をしているのは、何が起きるか分からないからだ。

通貨そのものが変わることもある。経済危機もある。制度も変わる。だから、見た目の数字だけでなく、実際に回る力、支える力、残せる力を持っておくことが大事だと思っている。

お金を見る時は、価値と構造まで見る

お金を考える時は、目の前の残高だけでなく、その裏側の構造まで見る必要がある。誰が信用を支えているのか。どこで価値が作られているのか。何が崩れたら危ないのか。そこまで見ないと、本当の意味でお金は理解できない。

ロシアのデノミの話は、そのことを考える一つの入口になる。通貨は不変ではない。だからこそ、人は価値の作り方と守り方を考えなければいけない。

これは投資だけでなく、人生の考え方にもつながる

結局、お金も人生も同じだと思う。見た目の数字や肩書きだけではなく、実際に何が残るか、何が支えになるかを見る方が本質に近い。だから私は、お金についても、事業についても、備えと分散と価値で考えたい。

一つの通貨や一つの制度を過信しないこと。それは不安に生きることではなく、現実を見たうえで柔軟に準備することだと思っている。

こんな方に向いている考え方です

お金を単なる残高ではなく、価値と備えの観点から見直したい方に向いています。

  • 現金や通貨だけに安心を置くのが不安だと感じる
  • 資産や事業を、分散と耐久性で考えたい
  • 海外の事例から、お金の本質を考えてみたい

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